りけいのこと
“共に生きる”金澤翔子✖️こそだて
京都 尼ちゃん りけいでございます
1月4日から16日まで 大丸京都店で 金澤翔子さんといかわあきこさんの個展がありました。
私はテレビで 金澤翔子さんとお母様の生い立ちを見させて頂いていたので
是非お逢いしたいとずっと思っておりました。
観に行かせてもらった時は
私自身が子どもの反抗期でどう接したらいいのか どう変わっていかなければいけないのか
日々悩みかなりのストレスをもって観に行ったと思います。
精神的に安定していなかったせいもあると思うのですが
ビデオを見たりお母様のコメントや本を読ませてもらっているうちに涙が止まらなくなりました。
今 あの日に助けられたな と感謝できる日を送る事ができていますので
ここで 金澤翔子さんの生い立ちと共に こそだてで悩まれてる方へ
何か感じてもらえればと思いご紹介させて頂きます。
金澤泰子さん(母)と裕さん(父)は 健全なクリスチャン
三度の流産を経て42歳で初産
ダウン症の翔子さんを授かる
翔子さんが誕生した時から長い年月苦しむ事になる
本来ならば祝福されるべきであるのに隠して育てていく中で日々死ぬ事しか考えなかったそうです。
救われたい一心でお地蔵さん巡りもされたそうですが
ダウン症であることは変わらず
自分が変わらなければいけないと気づき始め
父 裕さんの一言“精一杯 愛してあげよう”という言葉から少しずつ変わり
小学校の普通学級に入学できた事は とても嬉しい出来事だった
しかし現実は厳しく 何をしてもダメな娘をみていると
周りに申し訳ない気持ちでやはり無理かと思っていた時に
担任の先生が“金澤さん いいのよ。翔子ちゃんのいるクラスは穏やかで優しくなれるの”と言われ
翔子が役に立つかもしれない!存在意義がある!
翔子がいる事で周りの人が優しくなれるのであれば ビリでいい!
この位置を守ろうじゃないかと 思ったそうです。
その楽しそうに遊んでる姿は心が和みました。(ビデオ)
残念ながら高学年には上がれず 父 裕さんが突然52歳で他界してしまいます。
翔子さんは父の死を理解できないので 胸に手を当てて翔子さんに こう伝えます
お父様は死んでしまった。だからここには居ないけど翔子の胸の中で生きているんだよ。
それから ずっと現在でも胸に手を当ててお父様と会話をしています
胸の中にお父様は生きているんですね。
2005年の初個展が終わった後はお父様は『お疲れ様』と言ってくれたそうです。
父が亡くなり 闇の中で2人で始めた事が 272文字の般若心経を書くことです
叱られながら 泣きながら 只ひたすらに書きました。
これが 今の翔子さんを創り上げたとお母様は いいます
どんな苦しい事でも決して弱音を吐かず
最後に‘‘ありがとうございます”と言って
‘‘お母様、大好き、愛しています’’と伝えるそうです
そうなんです
子どもは怒られようが何をされてもママが大好きなんです
私は 母に素直にずっと愛していますありがとう、なんて言えてません!
思っているのにね…
こんなにも愛しているのに言葉が足りないだけで親子がギクシャクしてしまうのは 悲しいですね~
ただ優しくするのではなく
親が子供の心にどれだけ寄り添う事ができるかがpointかもしれませんね
これが又言うは易し行うは難しなのですが>_<
翔子さんの汚れていない心を見習わなければです。
般若心経についてですが
般若心経は短いお経なので毎日唱えたり写経もしやすく一番ポピュラーな経典です
しかし意味は と聞かれるとなんか良く分からないのですよね
仏教の根本原理『空』についてわからなければ難しいとも思います
般若(はんにゃ)とは言葉にならない知恵
言葉で示す事ができない知恵とは呪文だと述べています
呪文というものは
意味を求めずにただ語の響きだけを感じたり書き写すだけで沢山の功徳を得れます
ですから般若心経をとにかくお唱えする
写経する事はとてもいい事なのです
翔子さんと泰子さんは般若心経から功徳を得たのでしょう
『闇の中にこそ光があるのだ』と仰っておられました
父 裕さんが 翔子が二十歳になったら個展を開こうと言っていたそうです
個展がきっかけで、今の翔子さんが全国の人に知られるようになります
お母様は 翔子の書は 見る人を喜ばせたいという純粋な心から一生懸命、筆を動かしているだけです。
だからこそ字が生き生きするのかもしれません。
世俗の観念とか思想に汚されていない純粋な魂が書に現われるのでしょう
翔子はそのままでいい、このままでとても幸せなのだということが今やっと言えます。
絶対できないと決めつけているのは親だけで私達の想像以上に子供は育ちます。と
その通りだ~~!
親は こうしなさい あれはダメ と子供に言う、 あなたのために言っているのよ!と
違うのですよね
自分の思い通りに子供をしようとしているんですよね
幼少時代は ママごめんなさい と言う事を聞く
もう、その年齢では なく親が変わらなければいけない
子供の可能性を信じ応援するだけでいいんだ と
翔子さんと泰子さんを見ていて心から思えた
『如是我聞』(にょぜがもん)と言う書があったのですが
これは お経にでてくる一語で
‘‘この様にわたしはお釈迦さまのおっしゃるのを聞いた’’と言う意味なのですが
お経は
お釈迦さまが言った言葉を弟子達が書き留めていったものです。
ここのわたしは阿難(あなん)というお釈迦さまの十人弟子のうちの一人です
阿難が今からお釈迦さまの言っていた事をお話ししますという意味です
翔子さんが 如是我聞と書かれているのを見て
私の生き方をみなさい、心をみなさい、感じなさい、と
言われているようで
胸がぎゅーっと引き締まる想いで涙が流れてしまいました。
大河ドラマの ”平清盛”の題字は魂を感じ
今回 観た中で一番大好きな書です
素晴らしかったです
テーマの ” 共に生きる” は 800回以上書いていると仰っていました
金澤泰子さんの講演
金澤翔子さんの書
是非 機会がありましたら無理をしてでも観て聴いて頂きたいと想います
魂が揺さぶります。
又 最後まで読んで頂きありがとうございます
合掌 伊丹 理惠